【寄稿:開館2年前プロローグ・イベント】「眠たくても、嫌われても、年をとっても」笠井康平

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 その一方で、「みなとく 小学生ページ」の読者にはお分かりのように、「港区は芝、麻布、赤坂、高輪、芝浦・港南、5つのエリアに分かれているんだ」。高級繁華街だけが港区じゃない。数十の文化施設・公園があり、大小の寺社・史跡・文化財を擁する港区は、木造建築物が密集する生活・商業・観光エリアでもあって、「第一種」指定だけで計36件に及ぶ「市街地再開発事業」が進んでいる。最近成立した「三田五丁目西地区」の事業は、2030年までに完了する計画だという。
 港区は、港区の将来人口は「長期的に増加傾向が継続」し、2050年には日本人・約33万人、外国人・約3万5千人が住むと推計している。すでに97万人を超える昼間人口も、さらに増えそうだ。このまま行くと、都会生まれと田舎育ちの愛憎を「エモ苦しいおとぎ話」としてせつなく消費できた季節は、遠からず終わりを迎えるだろう。代わって再登場するのは、「地元」が「よそもの」をどう受け入れ、いつ送り出すかで悩む、あちこちで見かけた懐かしい日々なのかもしれない。

 分かり合えない歴史を胸に秘めて、内心では妬み、恨み、憎しみあう人たちが、どうすれば平和に「共生」できるのか。もっともありうる「残念な未来」を裏切るために、いまいち話が通じない他人と――より抽象化すれば、「外」への怯えと――私たちはどう付き合えばいいのか。
 この問いは、成熟した文化によくある悩みであり、新しいプラットフォーム(劇場)が抱える課題であって、擬人化された「国家」を代表する弱点でもある。2022年にNPO法人芸術公社は、「みなとコモンズ」(於:旧三田図書館)の開設にあたり、美学者・伊藤亜紗の提案した「コンセプト:砂浜」を採用した。それは東京湾に面するこの自治体にも、静かに・安らげる・過ごしやすい場所が、新しく求められたからにほかならない/だけではないのだ。

 2025年2月に「みなとコモンズ」を訪れて、キュンチョメ「ブレス・イン・ザ・ダーク ―平和のための呼吸―」を体験したあと、地下1階で「深海:呼吸をさがす部屋」を眺めながら、私に思い浮かんだ景色がある。
 ひとつは、円盤に乗る派「清潔でとても明るい場所を」(2019年8月)のラストシーンだ。1990年代・東海地方の浜辺をモチーフにしたらしい。夜風に吹かれながら、大切なひとの死を静かに悼む若者たちの姿をみた私は、この上演のために「砂地のやわらかさは、海に近づくほど失われる」と書いた。未成年だったとき、友人たちと花火をしに来た砂浜で、家族に疎まれて死のうとしていたおばあさんを海から引きずり出した夜について思い出していた。「死なせて」と彼女はいい、私たちはそれを許さなかった。
 もうひとつは、ミシェル・フーコー『言葉と物』(1966)のエンディングだ。フーコーは、事物と記号のつなぎ役となる「人間」という考えは、せいぜい19世紀始めに発明された新概念に過ぎなくて、遠からず「波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう」と予想した。彼は「賭けてもいい」とさえ書いた。それから約60年が経ち、パーソナルデータと知的財産、営業秘密を主要な「準-貨幣」とするコンテンツ産業の集積地で、さっきまでそこにいたはずの「人間」は、どこへ消えたのだろう? おかしいな。「最上階」につづくエレベーターを探していたはずなのに。

 港区立みなと芸術センター(愛称:m~m)は、JR浜松町駅に直結した「文化芸術ホール」である。この一文が事実となるのは早くて24ヶ月後で、本来の「プロローグ」は20年以上前にさかのぼる。
 2006年に「港区文化芸術振興条例」を施行した港区は、「地域に不足している」文化交流施設を導入しようと、2007年に「田町駅東口北地区街づくりビジョン」案をまとめた。もうすぐ完成を迎えるこの建物は、芝浦公園やハローワーク品川、東京科学大学(田町キャンパス)の近くに整備される予定だったのだ。
 老朽施設の改築も兼ねたアイデアは、やがて「文化芸術ホール」を含む新施設の基本構想(2008年)に広がった。基本計画(2009年)がまとまり、公募・入札(2010年~2011年)を経て、施工者も決まった。ところが2011年3月11日に、東日本大震災が起きる。
 その日に港区で震度5強の揺れが計測されたとき、私は青山の中層ビルで新卒説明会に出ていたはずだ。エレベーターが動かなくなり、十数階分の階段を降りて屋外へ出ると、どのコンビニでも食料・消耗品が消えて、どの鉄道駅も閉鎖され、どのバス停にも行列ができていた。Twitter(X)に溢れる無数のうわさとデマを眺めながら、屋根と壁のある大きな建物へ向かう人混みは静かだった。夜にどこで眠ったのかは思い出せない。きっと避難所で、だれかが何かを渡してくれた。

 複数回の緊急会議を経て、港区は6月に「工事一時中止」を決めた。防災対策が最優先されて、「東側の文化芸術ホール」(最終69億円分)は「そっくり、その部分がなくなっている形」となった(2013年2月26日総務常任委員会記録より)。当時の芝浦港南地区施設整備担当課長は、「文化芸術ホール棟の減築にかかる工事費の減額と、防災機能強化にかかる対策経費の増額」について、「施策の順位づけの考え方や財政収支及び緊急性の観点から、現行計画どおりの整備は一旦中止することとしました」と答弁している。
 それでも検討基礎調査は続けられ、2014年6月には「浜松町二丁目地区第一種市街地再開発事業」の構想に組み込まれる。事業計画書によれば、ここに駅直結の高層ビル(46階建て)を建て、13階未満を事務所、店舗、公益施設とし、13階以上を住宅(マンション)とするつもりだった。
 みなと芸術センター(公益施設)は、住宅区域(名称:WORLD TOWER RESIDENCE)と同じひとつの建物で、4階・5階の2フロアはマンション側とも接するという。2015年の「(仮称)文化芸術ホール整備の考え方」には、各区民ホールや文化関連施設と連携し、文化芸術団体等の複数の事業者と重層的に協働することで、「“コンテンツプラットフォーム”となるような、ゆるやかな「事業コンソーシアム」」となること」が肝要と書かれた。
 2017年に都市計画が決定し、2018年に世界貿易センタービルディング、鹿島建設が「再開発組合」を設立(のちに三井不動産レジデンシャル、三菱地所レジデンスが参加)。2020年に権利変換計画が認可され、2021年に新築着工した。2022年には「(仮称)文化芸術ホール管理運営計画」が策定され、2023年に「港区立みなと芸術センター条例」が施行され、施設名が公式に決まった。劇場法に定める劇場、音楽堂等として、各種の使用料金も定められた。
 2024年12月に選考委員会が「みなと文化パートナーズ」(代表団体:公益財団法人港区スポーツふれあい文化健康財団(Kissポート財団)、構成団体:サントリーパブリシティサービス株式会社)を指定管理者候補者に選び、2025年3月に正式指定。2025年9月には愛称が「m~m」に決まった。港(minato)と私(me)を「~」でつなげることで、「地域と私が結びつきを持っていること」を表している。
 2022年に策定(され、2024年に改定)された「管理運営計画」をもとに話を聞いたところ、港区は2025年4月から2027年10月にかけて開館準備業務を行い、2027年5月に再開発組合から建物が引き渡され、11月に開館する計画だという。初年度の収支概算は収入0.9億円、支出9.4億円(差額が指定管理料)を見込み、施設の使用料なども港区の収入となる。有形無形の付加価値を生み出す――財務資本に限らず、知的資本や人的資本、社会関係資本なども含めた価値創造のため、施設の使用料やチケット収入、寄付金・助成金のほか、ネーミングライツ(命名権)制度の導入も検討しているけれど、施設丸ごとの命名権を売り出しはせず、館内の各諸室や事業単位ごとに権利購入者を募ることも検討しているそうだ(※現状および/または今後の計画とは異なることがあります)。

 つまりは、たくさんの大人がたくさん話しあって、たくさんの約束をたくさん守ったんだろう。
 きっとものすごく大変で、ありえないほどつらかったんじゃないかな。