【寄稿:開館2年前プロローグ・イベント】「想像力は、あなたの手から——レゴとぬいぐるみで、2年後の劇場をプレビューした日」山本ジャスティン伊等

市原佐都子『m∼m(むーむ)で、も~も』

『バッコスの信女 ─ ホルスタインの雌』で岸田國士戯曲賞を受賞し、国内外で高い評価を得ている劇作家/演出家である市原佐都子氏による「m~mで、も~も」は、参加者が持ち寄った人形やぬいぐるみといった身近なものを用いることで演劇の奥深さを知ることができるワークショップであった。
子供の頃、ぬいぐるみを大切に持っていた人も多いはずだ。私の場合、一歳の誕生日に親からもらったプーさんのぬいぐるみが、子どもの頃は大事な話し相手だった。そしてそれは往々にして、いつの間にか生活の隅へと追いやられ、気づけば押入れの奥で眠っていたりする。あるいは、旅先でふと手に取ったお土産のマスコットキャラクターや、捨てられずに取ってあるお気に入りの空き箱。そうした「モノ」たちは、私たちの日常に静かに寄り添いながら、いつの間にか懐かしさを帯びた固有の気配を纏っている。
劇作家・市原佐都子氏によるワークショップ『m~mで、も~も』は、こうした身近なぬいぐるみやモノたちに、再び光を当てる時間だった。会場に集まった人々が携えていたのは、年季の入った大きなパンダのぬいぐるみやディズニーの有名なキャラクターのもの、お土産売り場で売っているような、ストラップのついた小さなマスコットまで、持ち主それぞれの思いが宿った多様な「モノ」が並んでいた。
ワークショップは、市原氏自身が「も〜も」という名のぬいぐるみを介して話し、リラックスした雰囲気の中で始まった。まずは参加者全員による、ぬいぐるみを通した自己紹介が行われる。ここでは人間が主役ではなく、あくまで紹介される主体はぬいぐるみそのものである。自分のことを話す際も、「この人は……」と三人称で自分のことを指し示す。ぬいぐるみになりきって喋るなんて何年振りのことだろうか。しかしこうしたコミュニケーションの仕方によって、初対面の人々が集まる場に、不思議と構えのない空気が流れていた。
自己紹介を終えると、2人1組になり、お互いの悩みを話しあう。それもやはり「この人はこんなふうに悩んでいる」「この人は悲しいことがあると、僕(ぬいぐるみ)のことをベッドでぎゅっとするんだ」などと、あくまでぬいぐるみの視点を介して、私たち自身のことを語る。すると自分自身の言葉では直接口にするのがはばかられるような悩みも、少しだけ話しやすくなるし、相手の言葉も聞きやすくなる。多分人には、ぬいぐるみ同士でなら話せるようになることがあるのだ。

©Yutaro Yamaguchi

その後は、悩みを聞く中で印象に残った一言を紙に書き出し、市原氏から配られたカードと組み合わせて、5人1組で短い演劇を作るプロセスへと移った。カードには薬局、病院、工場などといった、「舞台」となる言葉が書かれていて、これらをキーワードに私たちは短い演劇を立ち上げる。そこでは、演じているぬいぐるみと同時に、それを操作する「人間の身体」が常に見えている。

演劇というのは多くの場合、舞台の上でなされる演劇を観客が見るという一方向的なものだ。けれどもぬいぐるみを動かす人が見えている場合には、目の前の話が作り物である前提を観客と演者がお互いに認め合うことでフィクションが成り立つ。今回はワークショップということもあって、見る人とやる人が共同で一つの演劇空間を作っているようだった。
私が参加した回では工場が爆発したり、病院の前で交通事故が起きたりといった、比較的アクションの要素が多くあった。当日の会場で、こうしたものはグロテスクというよりもギャグ漫画的な笑いを生んでいた。綿やプラスチックでできていたり、腕が取れる仕様になっている、ぬいぐるみという人間よりも小さなスケールで、別の質感の身体を持つものだからこそ生まれる、ごっこ遊び的な想像力なのだ。

©Yutaro Yamaguchi

誰もが持っている「見立て」の能力を呼び起こし、日常を演劇的な豊かさで彩る。本ワークショップは、市原氏の他にアーティストのメイ・リウ氏のファシリテーションで、中国語/英語話者向けの回も設けられていた。こうした試みには、狭い意味での「日本人」だけでなく、港区住民や劇場へ訪れるあらゆる人を歓待する姿勢が感じられる。
今回の開館2年前イベントは、2027年に誕生するm~mという劇場が、あらゆる人に開かれ、新たな表現が生まれる貴重な場になる。そんな可能性の一端を垣間見る1日だった。